燃え尽きかけた炎の話 佐久本庸介が精神科の家族会で行った講演全文

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 皆さんこんにちは。ここの病院に十九歳の頃から通院している、佐久本庸介と申します。
 現在、僕は三十四歳(当時)ですが、毎日職場に通って働いています。小説を書いたり、パソコンの大会に出場したり、活発に日々を過ごしています。今でこそ、このようにやりたいことができていますが、病気を発症した当初は辛い毎日を送っていました。

 元々僕は、学生時代からいじめられたり、人の輪からハブかれたりして、いろんな面で不自由をしていました。毎日ゲームばかりしていて、勉強もせず、何か将来のため前向きに行動するということはありませんでした。高校では卓球を始めましたが、友達が一人もいない僕は部活の中でも軽く扱われて、不愉快な思い出ばかりが残りました。
 特に目標もなく大学に進みましたが、そこで限界を迎えて、東京の精神病院に連れていかれた僕は、そこで一ヶ月入院しました。
 退院後、僕はいろいろなことをするつもりでしたが、なにもできませんでした。薬の副作用が強すぎて、日常生活にも支障をきたし、毎日寝てばかりいました。次第に幻聴が酷くなり、正月を過ぎた頃、再度地元の病院に救いを求め、病床が空いていないということで紹介されたのが、ここの病院だったわけです。

 今後の入院は三ヶ月近くかかりました。終わることのない入院生活の中で、僕は時間を潰すために、とにかく布団に入って寝ようとしたり、廊下を何度も往復して歩いたりしました。廊下の窓から夜の街を眺めていると、まるで宇宙でも眺めているようで、自分はあそこには届かないのだと自嘲したものです。
 入院中、一冊の小説をなんとか読みきりました。一ページどころか、十行も読めば疲れて休んでいました。それくらい薬の副作用は僕の能力を減退させていました。退院してから本を読もうとしましたが、どうしても読むことはできませんでした。
 デイケアに通うようになってからは、毎日することができましたが、同じプログラムを毎週繰り返すというのは苦行に近く、なにより物事が先に進む気がしませんでした。大学で生き生きと過ごしている、同い年の従兄弟を見るのが辛くて、意識的に避けていた時期もありました。
 このままずっと同じ日々が続いたら、自分はどうしようもなく駄目になってしまうと思いました。若い今、努力しなければやりたいことなんてできるわけないのに、病気を理由にしてなにもできない自分が辛くて仕方なかったです。当時僕は漫画家を目指していましたが、ある程度の現実を知っているせいか、その夢を真剣に考えるたびに、絶望が押し寄せてきました。

 しかし長い年月リハビリしていると、薬の組み替えがある程度成功して、ちょっとずつ生活がマシになってきました。マシになった分、できることも増えて、漫画家の夢は小説家へと変わっていきました。読書は三十ページくらいなら続けて読めるようになりました。それでも調子を崩すことが多かったので、合間に休みを取って、それでも具合悪くなりながら本を読みました。自分の中にある炎がだんだん強くなっていったのです。

 それからパソコンの勉強ができる団体に申し込んで、所属したり、就労移行支援施設に通って、就職をしたり、いろいろなことをすることができるようになりました。時にはパソコンの大会で賞を取ったり、小説で賞をもらって本を出す機会にも恵まれました。苦しいことも多かったですが、なんとかそれについていくことができるようになったのも、リハビリが上手くいったからだと思います。

 しかしながら、いろいろな方の支えがあってここまで来たわけですが、僕が恵まれてばかりいたかというと、そういうわけでもないと思います。特に両親に関しては思うところがありまして、死んだ親父は病気で無気力になった僕に対して結構酷いことを言ったり、朝四時に起きて一緒に畑に行けと言ってきたり、とても病気に理解のある人ではありませんでした。
 母は母で、元々過干渉で、相手の都合を考えないで自分の考えを押しつけるタイプの人で、病気で心の弱った僕にはかなり辛いものがありました。
 ですので、みなさんお子さんに対してなにかと責任を感じているかもしれませんが、僕は基本的に人生、身の振り方は自分でなんとかするしかないと考えているので、多分そういうことではないのではないかと思います。

 ちょっと観念的な話をしますが、人は心の中に一つの炎を持っていまして、まあ、魂と言うものですね。その炎が大きければ、それだけ人は自信を持ってやりたいことに向かうことができますが、風前の灯火というくらいに小さくなっている人もいるわけです。
 たとえば親御さんがお子さんを焚きつけても、むしろ萎縮して小さくなってしまうことは、いくらでもあるわけです。力強く燃えている時にはむしろエネルギーになって、もっと大きくなることもあるかもしれませんが、弱々しい火に同じことをすると、もっと小さくなるか、燃え尽きてしまって、そのまま二度と燃えることはない、ということもあり得るわけです。

 僕の記憶のある限り、うちの両親が僕をなんとかしようと、あれこれやったことで、よかったことはほとんどありませんでした。父は皮膚病のある僕に危機感を覚えたのか、どこでもらったかも知らない薬を持ってきて、無理に僕に勧めたりしてきたし、母は母で行きたくもないつまらない場所に僕を連れ回したりして、その後、酷い喧嘩になったりしました。

 僕が思う、両親の影響でよかったことは、二人とも割と責任感のある方で、自分の仕事や、介護を投げ出さず、最後までやり通すところを見せてくれたことです。僕も死んだ父が飼っていた秋田犬を十一年飼い続けて、最期まで看取りましたが、あまりしつけのされていない大型犬の世話をするのは相当大変なことでした。ささやかなところで両親を見習ったわけです。

 僕の場合は元々やりたいことがあって、ある程度自分の中で燃えている炎があって、回復と共に、たくさんの社会資源の協力をいただきながら、安定して燃やせるようになった、というのが現在地だと思っています。繰り返し言いますが、自分の人生は自分がなんとかするしかなくて、自分の炎を燃やすのも他人の力ではありえないのです。だから家族にできることは、見守ることだけだと思います。人生に攻略法などはなく、個人の人生は全てその人の責任で行うべきです。

 心の中で燃える火が残っていれば、いつか大きく燃え上がる日が来るかもしれません。可能性を信じるしかないし、基本的に両親ができることは見守って支えることだけだと思います。一番大変なのはやはり本人なので、どのような結果が待っているかは何もわかりませんが、是非とも信じてさしあげていただけないものでしょうか。

 これで、話は終わりです。皆様、ご静聴ありがとうございました。

(追記:偉っそうなことばっかり言っていますが、精神科に通うお子さんを持つ親御さん相手に語りました。これが押川剛さんの本に出てくるような人たちだったら話す内容も変わってくるのでしょうが、みんな真剣にどうにかしようか考えている人情味ある親御さんたちでした)

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